代表プロフィール
大学卒業後、精密機器メーカーに就職。製品開発部門で電気回路設計を担当。5年後にIT企業に転職。サーバー構築などインフラ系SE、プロジェクトマネージャーを経験後、本社管理/企画部門に従事し総合職としてキャリアを積んできました。2020年に中小企業診断士として登録。“進歩と調和”をモットーに、企業への経営診断・助言を通して、社会に貢献してまいります。
(資格)
中小企業診断士
ITコーディネータ
理念
ミッション
中小企業の成長を支える
ビジョン
経営者と従業員が夢を実現する幸せな世界
バリュー
クライアントのお困りごとを解決するために、自分の影響力の範囲を最大化する
物語
下町の少年から、中小企業の夢を叶えるコンサルタントへ
1968年、神戸の下町で生まれた私は、幼い頃から機械いじりが大好きだった。少ない小遣いで買ったプラモデルのパーツを指でなぞり、ものづくりの世界に没頭した。そして、ある日、私は恐ろしいことをしてしまった。家にある目覚まし時計を分解し、組み立てるうちに、小さな部品を紛失。時計は二度と時を刻まなくなった。両親の怒声が、子どもの心に深く刻み込まれた。

それでも、私はものづくりへの好奇心を抑えられなかった。ある日、学校で配られた豆電球の電線を、家の100Vコンセントに差し込むという無謀な実験に手を染めた。バチッという音と共に、小さな爆発。焦げた指と恐怖に震える心。それでも、私はこの経験から、電気の力と挑戦を学び、将来はエンジニアになるという夢を心に抱いた。小学校の恩師からもらった「日進月歩」という言葉は、私の心に火を灯し、常に前進することを教えてくれた。
大学では、電気工学を学びながら、体育会系の部活にも打ち込んだ。汗でドロドロになりながらコートを走り、先輩に厳しく指導され、心身ともに成長した。卒業後、念願の精密機器メーカーに就職。電気回路設計を担当しながら、開発リーダーとして製品を世に送り出す喜びを味わった。しかし、その達成感の裏には、空虚感が広がっていた。
「これで、僕は夢を叶えたのだろうか?」
そんな自問自答の日々を送る中、バブル経済が崩壊。世の中や会社の状況は一変し、未来への不安が、私の心を蝕んでいった。
Windows95が流行し、日本にインターネットが整備されつつあった。新たな挑戦を求め、趣味で培ったコンピュータの知識を活かし、IT企業へ転職。私は、サーバー構築のシステムエンジニアや、大規模システムのプロジェクトマネージャーを経験した。そこでは、多様なメンバーをまとめ、プロジェクトを成功させることの難しさを痛感した。
「一人では何もできない。多様なメンバーが調和することで、初めて大きな成果を生み出せる。」
この経験は、私にとって大きな学びとなった。
また、会社組織の管理者として部下を率いるには経営の知識が乏しく、多くの壁にぶつかった。そんな悩みを抱えながら、中小企業診断士の資格を目指し始めた。7科目ある1次試験は難なくクリアしたが、2次試験は鬼門だった。診断助言論文に苦しみ、何度も何度も受験を繰り返した。10回の挑戦の末、ようやく合格の知らせが届いた。
中小企業診断士の道のりは厳しく、仕事後も休日も勉強に励んだ。最初は専門用語すら分からなかったが、諦めずに学ぶことで知識が積み重なっていった。まるでプラモデルを組み立てるように。2次試験に何度も不合格になった時は心が折れそうになったが、諦めたくなかった。この経験から、努力すれば成長できること、諦めなければ目標は叶うことを学んだ。当初は自分の仕事のためだったが、学びを通して世の中の役に立ちたいと強く思うようになった。中小企業の経営者が抱える悩みは、私が以前感じていた不安と共通するものがあるように感じた。だからこそ、彼らの力になりたいと思った。
そして、私はOfficeMaehara中小企業診断士事務所を開設。経営コンサルタントとして、新たな一歩を踏み出した。
「私は、単に知識を教える先生ではなく、クライアントの潜在能力を引き出すパートナーでありたい。」
そう心に誓い、中小企業の経営者をサポートしている。クライアントの話を聞きながら、まるでパズルを解くように、問題の本質を探っていく。そして、多面的な視点から、様々な課題解決策を提案する。
鳥の目で全体を見渡し、虫の目で細部にこだわり、魚の目で未来を予測する。私は、クライアントの成長を心から願い、共に未来を創っていく。
少年の頃の失敗から学び、社会人としての挫折を乗り越え、私は今、中小企業の夢を叶えるコンサルタントとして、新たなステージに立っている。「進歩と調和」をモットーに、企業経営の診断・助言を通して、社会に貢献したい。
「わくわくする未来を創るコンサルティング」
私には、この言葉が、ぴったりだ。